Q. 3つの誘惑の中の、「暮らし向きの自慢」が聖書でどのように書かれているのか、よく理解できません。教えていただけると幸いです。
A. 暮らし向きの自慢に関して、この箇所の意味を調べるためにミドラッシュを使うことができます。
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。 第一ヨハネ2:15-17
世を愛することに関して、特定の3つの誘惑があります。ですから、悪魔が投げかける特定の3つの誘惑が、他に出てくる箇所を見てみましょう。
まずは創世記3:4-6.
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
その木の実は
食べるのに良く
目に慕わしく
賢くする
この誘惑は第一ヨハネ2章に当てはまります。
食べるのに良く 肉の欲
目に慕わしく 目の欲, (外面的な美しさ)
賢くする 暮らし向きの自慢
次にキリストが悪魔から受けられた誘惑と比べてみます。それは園でのエバへの誘惑を繰り返したものです。
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
マタイ4:1-11
この石がパンになるように、命じなさい 肉の欲
世のすべての国々とその栄華を見せて 目の欲
神殿から下に身を投げてみなさい 暮らし向きの自慢
果実は食べるのによく見え、40日断食された後でイエスはとても空腹だったでしょう。
悪魔はイエスが空腹を満たすために、神としての力を使わせようとしました。もしイエスがそうしていたら、私たちと同じ人として十字架に行くことはできませんでした。イエスはへりくだる為に神としての力と栄光を放棄されたゆえに、人として私たちの罪の代価を払うことができました。
次は目の欲です。容姿の美しさ、他人の物を欲しがること、貪欲。
サタンはこの世の国々のすべてをイエスに見せて、サタンを拝むなら支配させてやると誘惑しました。この種の罪はわかりやすいものです。この世を愛する者はこの世のものを愛し、それ以上に神を愛することはできません。
暮らし向きの自慢を理解するために、最初の2つの箇所に相当するところを見てみましょう。
悪魔は、果実が賢くするものと言いました。もし食べると、善と悪を知り神のようになります。悪魔は常に神をねたんでいます。神の地位、受ける礼拝、王座を欲しがっています。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
イサヤ14:13,14
もちろんサタンはこれを得ることはできません。そのように試してみるだけでも反抗的です。それで人に神の栄光を欲しがらせ、自分自身を高くするように試みるのです。これは無知な人を使って神を攻撃する方法です。「あなたは神のようになれる。」というのが、すべての偽りの宗教や偽りの教理の根本的な嘘です。
サタンはイエスに神殿の頂から飛び降りてみろと誘惑しました。神は御使いが私たちを守るようにしてくださっているので、イエスは人々の目の前で御使いが天から降りてきて助けてくれることを確信できるはずだというのが、サタンの説得でした。人々がこのような出来事をみたら何と言うでしょうか?「人の子が御使いとともに天の雲の中からやってきた。」と評判がたつでしょう。しかし、これもまたキリストが十字架にいく資格をなくしてしまいます。この預言は再臨の時に成就するでしょうが、初めの来臨の時ではありません。初めの来臨の時は、キリストは死ぬために来られたのであって、地上での生で誉と栄光をうけるために来られたのではありませんでした。
再臨で私たちは祝福や健康、繁栄、報い、そのものを豊かにいただけます。しかし、それらのものを今要求することは罪です。私たちに対して、サタンの誘惑は、御国で受けるはずものを今に欲しがることです。
ですからこれは暮らし向きの自慢を表しています。称賛され、尊敬され、他人より高い立場にあるべきだと考えること、自分がどんなに素晴らしい人だと他人に思われたい気持ちは、つまり「私たちは神のようになれる。」と考えるということです。呪術師シモンは、人々に聖霊を与える力をお金で買おうと考えたとき、この誘惑に陥りっていました。彼のモチベーションは人からの称賛でした。
これに対して、バプテスマのヨハネの言葉は対照的です。
「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:30)
その態度を持っているものは暮らし向きの自慢の誘惑に負けません。
シャローム
ジェフ